東京高等裁判所 昭和55年(う)1713号 判決
一1 公職選挙法(公選法という。)一三八条一項は、「何人も、選挙に関し、投票を得、若しくは得しめ又は得しめない目的をもつて戸別訪問をすることができない。」と規定して、選挙運動としての戸別訪問を一律に禁止しているところ、右の戸別訪問を、その手段方法とされる言論の内容の面からみるならば、戸別訪問とは、候補者又は選挙運動者が、選挙人に対して、自己又は自己の支持する候補者や、その所属する政党の政見、政策などを説明宣伝し、自己に投票し、若しくは支持する候補者に投票するよう勧誘、説得、依頼したり、あるいは、他の候補者、政党の政見、政策などを批判して、これに投票しないよう説得、依頼するなどの表現行為であるから、その表現内容が憲法二一条にいう表現の自由に含まれることは当然であり、他面、国民に選挙権及び選挙運動の自由が保障されていることにかんがみれば、選挙運動としての戸別訪問を一律に禁止することは、憲法二一条のほかに、憲法前文、一五条の関係でも問題になるということができよう。
しかしながら、表現の自由を含め、いかなる憲法上の権利、自由といえども、絶対無制限のものではなく、憲法一二条、一三条に照らし明らかなように、国民全体の利益をはかり、また他の憲法上の権利、自由との調和をはかるため、おのずから制約を内在するものであつて、ことに、選挙運動は、これが多数候補者、政党により、一定の期間中同時に行われるものであることにかんがみると、公選法一条にもいうように、「選挙が選挙人の自由に表明せる意思によつて公明かつ適正に行われることを確保する」ために必要な合理的規制を内在的に保有しているものと解せらるから、選挙の公明適正を確保するため、選挙の自由をそこなうおそれのある手段方法による選挙運動について、必要にして合理的な制限を加えることは、憲法上も許されるものといわなければならない。
ところで、公選法は、前示の如く、同法一三八条一項で戸別訪問を一律に禁止してはいるが、他方、戸別訪問に関して予想される前記のような特定候補者等についての表現行為は、個々面接、電話による依頼、一定制限内の文書頒布や、ラジオ、テレビの政見放送、立会演説会など、各種の手段方法によつて行うことも許されているから、戸別訪問の禁止は、候補者等についての表現内容そのものを禁止しようとするものではなく、それらについての表現行為の手段方法のうちの一つを制限しているに過ぎないものということができるほか、これを選挙運動の面からみても、同様にいうことができる。したがつて、戸別訪問の禁止が、合理的な理由により必要やむを得ない限度にとどまる限り、憲法二一条、前文、一五条に違反するものでないというべきである。
そこで、戸別訪問の禁止が合理的な理由により、必要やむ得ない限度にとどまつているか否かについて検討する。
たしかに、選挙運動としての戸別訪問には、直接の対話を介して、選挙人に対し、候補者や政党の政見、政策等の判断材料を提供し、相互に討論し批判したりして、理解を深める機会にもなるなどの利点があることは認められるとしても、他方、選挙人の中には、その政治的意思を決定するにあたり、必ずしも討論を好まず、時に血縁や地縁的な結びつきに流れ易い傾向を示す者があることも考慮すべきであることのほか、わが国の公職選挙の実情をみれば、選挙のたびごとに買収事犯等各種の選挙犯罪が跡を絶たず、かかる現状のもとで、一般公衆の目に触れない場所で選挙人と直接対面して行われる戸別訪問を許容するときは、その機会を利用して、買収、威迫、利害誘導等選挙の自由、公正を害する行為が行われる相当の蓋然性があり、また、候補者側にとつても、他候補者との対抗上、訪問回数を競うこととなつて、その煩に耐えられなくなるなど、選挙運動の実質的公平を害するおそれもあり、さらに、選挙人としても、全く未知の候補者や選挙運動者から、累次の訪問を受けて、家事その他の業務を妨害され、私生活の平穏を害されるおそれもあり、なお、経済力、組織力、動員力に勝る候補者が有利となつて、候補者間の選挙運動の実質的平等を保持し難くなる危険性もあるなど、戸別訪問に伴ない発生することの予測される種々の弊害のあることは、否定し難いところといわなければならない。公選法は、右のような弊害を防止し、もつて公職選挙の自由と公正を確保することを目的として、戸別訪問を禁止したものであるから、その目的は正当であり、かつ、右の弊害を総体としてみるときには、戸別訪問を一律に禁止することと禁止目的との間に合理的な関連性があるということができるのである。そして、以上のことを考慮にいれながら、選挙運動としての戸別訪問を禁止することによつて、失われる利益と得られる利益を比較衡量すれば、戸別訪問の禁止は、候補者等についての表現内容、すなわち、投票依頼等の政治的言論の内容そのものを禁止するものでなく、それらについての表現行為の手段方法のうちの一つを制限しているにとどまり、戸別訪問以外の方法による政治的意見の表現や選挙運動をも制約するものでないうえ、その禁止によつて得られる利益は、選挙の自由、公正を維持増進するという国民の基本的な権利に関する重要かつ積極的なものであるから、禁止によつて失われる前示の利点に比すれば、より重要なものということができる。したがつて、選挙に関し、戸別訪問を禁止する必要があるとした立法府の判断は、正当、かつ合理的であり、その規制の程度も必要やむを得ない限度にとどまるものと認められるから、これを定めた公選法一三八条一項は、憲法前文、一五条、二一条に違反せず、右禁止を実効あらしめるために設けられた処罰規定である公選法二三九条三号もまた、同様に違憲であるということはできない。
2 所論は、戸別訪問を自由化して実施された、品川、大田両区長準公選及び中野区教育委員準公選の経験と実績が、戸別訪問に伴つて生ずるとされた前記弊害、すなわち、買収等の不正行為の温床となり易いという弊害のないことを実証したから、もはや、不正行為温床論は、戸別訪問禁止の合理的な根拠となり得るものでないと主張する。しかしながら、当審証人吉田善明の供述を含む関係各証拠によれば、所論のごとく戸別訪問を自由化して実施された右各準公選の選挙においては、買収等の不正行為のなかつたことをうかがわせるところ、このことは、右各準公選が、いずれも住民運動から発祥し、賛否をめぐる数々の論議の末、区民はもとより、報道関係者や有識者等の関心と注視のもとに行われたものであること、したがつて各候補者や選挙運動者は、右の点を充分に自覚するとともに、買収等の不正行為をしないとか、運動者に対する報酬は支払わないとかの協定を相互に取り交わして選挙運動に臨んだこと、ことに中野区教育委員準公選の場合においては、右協定に違反した者は、教育委員候補者として推薦しないこととし、右違反事実の摘発のための相互監視体制のできあがることを前提として実施されたものであること、などの事情によるところも大きかつたと認められるうえ、右各準公選の選挙においては、右のように、もともと買収等の不正行為はなかつたものであり、不正行為は多発したが、戸別訪問の機会になされた不正行為はなかつたという場合と異なるものであるから、戸別訪問を自由化して実施された右各準公選の選挙において、戸別訪問に伴なう不正行為がなかつたということをもつて、直ちに、一般の公職選挙の場合、戸別訪問の機会に買収等の不正行為が行われないことを実証したものであるということはできない。
二 法定外文書図画頒布禁止規定及びその処罰規定の合憲性を判断するには、さきに述べたところから明らかなとおり、戸別訪問禁止規定の合憲性を判断した際の判断方法によるべきものと解されるところ、公選法一四二条は、選挙に関する文書図画の頒布等のすべてを禁止したものではなく、同条一項各号に掲げる文書図画以外の頒布等を禁止したものであつて、これは、公職の選挙において、選挙運動用の文書図画の頒布等を無制限に許容すると、選挙運動に不当な競争を招くことになるばかりか、資金力や動員力に勝る者とそうでない者との実質的な不平等を来たすなどの弊害を生ずることになるため、これらの弊害を防止し、もつて選挙の自由公正を確保することを目的としたものであるから、右目的は正当であり、右の弊害にかんがみれば、同条一項各号に掲げる文書図画以外の文書図画の頒布等を禁止することと、右禁止目的との間には、合理的な関連性があるとともに、その程度も必要やむを得ない限度を超えるものということはできないから、同条及び同条に違反した者を処罰する旨を定めた同法二四三条三号は、憲法二一条、前文、一五条に違反しないといわなければならない。